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BIOGRAPHY

公式 ディマシュ ジャパン ファンクラブ
◆名前:Dimash Kanatuly Kudaibergen(ディマシュ カナトゥル クダイベルゲン)

◆誕生日:1994年 5月24日(27歳)

◆出身地:カザフスタン、アクトベ

◆身長:191 cm

◆言語:(日常)カザフ語 ロシア語(歌唱)カザフ語 ロシア語 フランス語 英語 イタリア語 中国語 トルコ語 ウクライナ語 セルビア語 キルギス語(インタビュー番組において)、スペイン語(コンサートの楽屋で)
※家族の集まりでは、ウズベク、タタールの歌なども歌うと父カナトは答えている。

◆スポーツ:水泳、テコンドー(青少年期)
2~3時間近くに及ぶライブ・ステージを実行するため、時間を見つけてジムに通う。
また、滞在先ホテルのプールをよく利用する。バスケットボールをしたり、テレビでサッカーのリフティングを披露する様子がYoutube で見られる。

◆ステージで演奏した楽器:ピアノ ドンブラ ドラム
※動画で戯れに演奏する様子が見られる楽器:マリンバ ギター バイオリン チェロ

◆尊敬する人・憧れの人:両親、祖父母、マラト・アイティモフ先生、セリーヌ・ディオン、マイケル・ジャクソン、ジャッキー・チェン……
※舞台では、マイケル・ジャクソンが一緒にいてくれるような気持ちで頑張っている。

◆好んで聞く音楽:“一個人として音楽大好き人間。どんな音楽でも。ラップも、ヘヴィロックも、メタルロックも……、それから最後にクラシック・オペラ(笑)”(インタビューに答えて)
楽屋ではカザフの伝統音楽を聴いていたり。

◆ヴォーカルレンジ:C2~G♯7、D♯8
4.5オクターブの歌唱域に、ヴォーカルフライと呼ばれる超低音、ホイッスルヴォイスと呼ばれる超高音G♯7、D♯8を含む。
本人は自己の声域に言及しない。声はツールであり、何を表現し聴衆に伝えるかが大事だから。
※以下、太字下線のテキストにはリンクが付いています。リンク先は主に外部サイトです。
リンクは水物です。リンク先がリンク切れの場合はご容赦下さい。

1.ディマシュ・クダイベルゲン

◆名前ディマシュ クダイベルゲン
Dimash Qudaibergen(カザフ キリルДимаш Құдайберген)
Dimash Kudaibergen(ロシア キリルДимаш Кудайберген)
迪玛希 (中国での活動名,読み方 ディマシ Dí mǎxī)
1994年5月24日生まれ 

“Dimash ディマシュ“ことディマシュ・クダイベルゲンは、1994年5月24日、カザフスタンの西部にあるアクトベで生まれました。人口約1800万人のカザフスタン共和国において、人口約37万人のアクトベ市は5番目の都市です。(2017年現在)
旧ソ連が崩壊し独立国家カザフスタンが誕生したのは、ディマシュが生まれるわずか2年半前のことでした。(カザフの歴史的背景はディマシュと彼の音楽を知るうえでとても大切な要素となります。)
 
◆ディマシュの両親は、Aktobe Pedagogical Instituteアクトベ教育研究所 (教員養成学校。現在のK.ズバノフ大学の前身) の学生として出会い、結婚しました。やがて長男として生まれたのがDimashです。

◆伝統的なカザフの子育てには、“幼いころは父方の祖母が面倒を見るべき”という考え方があります。また、初孫は祖父母に還すという慣習があります。加えて、ディマシュの両親はともに音楽家として勉強・活動中。特に母のスヴェタは、教育研究所卒業のあと進学した アフメット ズバノフ記念アクトベ音楽学校の1年生という若さでした。子育てのひとつの節目である生後40日(日本では生後30日頃に「初宮詣で」をしますね)を迎えたとき、スヴェタは大学の講義に戻らなければなりませんでした。
◆このようなことから、ディマシュの幼いころの養育はもっぱら父方の祖父母に委ねられました。伝統に従って大家族で暮らしていましたが、祖父母をパパ、ママと呼ぶ両親(カナト/スヴェタ)に倣って、Dimash 自身も祖父母をパパ、ママと呼び、10歳ころまで実の親だと思いこんでいました。また、両親のことは大きい兄姉として年上の人の敬称をつけてカナト・アタ、スヴェタ・アパと呼んでいたそうです。
「大家族あるある…」ですね。

●父  Kanat Kudaibergenuly Aitbayev カナト クダイベルゲヌリ アイトバエフ
(カザフ語:Қанат Құдайбергенұлы Айтбаев)
●母  Svetlana Еrmekovna Aitbayeva  スヴェトラナ エルメコフナ アイトバエワ(カザフ語:Светлана Ермековна Айтбаевa)愛称はスヴェタ
ディマシュのお母さんの名前についてはこちら
●祖父 Kudaibergen Aitbayev  クダイベルゲン アイトバエフ(Құдайберген Айтбаев) 
●祖母 Miua Nizamutdinova  ミウア ニザムトディノワ(Миуа Низамутдинова) 
     
※のちに妹raushanラウシャン(Раушан 2001年)、
弟 アビルマンスールAbilmansur(Әбілмансур愛称マンスール 2007年)が生まれました。

2. 名前の意味

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◆「Dimash」はDinmukhammed の愛称です。

我らがDimashの専売特許というわけではなく、カザフのネット記事などで、別人のDinmukhamedさんもDimashと呼ばれているのを見ることができます。

◆Dinmukhammed に埋め込まれているムハンマドMukḥammedは、ムスリム(イスラム教徒)の最も典型的な男性の名前。たたえられた、称賛されたなどの意。漢字で当てると「誉」なんてどうでしょう。預言者モハメッドの名前なので好まれる名前だそうです。Din は宗教などと翻訳できます。さて。宗男くんとか、崇くんとか?

◆Kanat   は  カザフ男子によくみられる名前です。日本ではそのままキャプテン翼!

◆Kudaibergen は Kudai神の+Bergen 贈り物。ロシアのスポーツ選手にも時々いますね。賜男さん? 

◆カザフは父系の出自を自己アイデンティティとして、名前に祖先の名前をはめ込んだりします。

~ұлы(uly)は、「~の息子/子孫」 という意味。 ロシア語風にいうとKanatovich。
~kyzyが「~の娘」です。 

なるほど。曲者俳優ジョン・マルコヴィッチは、「マルコの息子のヨハネ」でしたか。

※ ↓ ディマシュの名前に関してのブログ(公式)はこちら
Dimashの名前がもしもDimashでなかったら
【K or Qどちら?】ディマシュの名前のこと

◆カザフには姓の概念がありませんでしたが、旧ソ連時代に姓をつけるよう求められ、祖先の名前にovをつけてロシア語風にしたり、あるいはそのままで姓にしました。ディマシュの姓としてKudaibergenovとあるのはロシア風表記の例ですね。現在はKudaibergenで統一しているようです。 

◆Dimashは、お爺さんの名前を姓にして「クダイベルゲンの カナトの息子 ディンムハメド」。

◆お父さんのカナトさんは「アイトバエフの クダイベルゲンの息子 カナト」。
◆お祖父さんのクダイベルゲンは「アイトバエフの クダイベルゲン
  

※なお、ラウシャンはローズ(ばら)のこと。
※マンスールは、勝利者を意味するアラビア系の人名です。勝男くんですね。 

◆カザフでは、父系の系譜は幼児のころから教えられ、特に男の子は直系父祖を何代も暗記して言えるように教育されているそうです。4~5代くらい遡るのは基本中の基本。7 世代の父系祖先を述べるジェティ・アタ(7人の父祖)が言えるのが理想。  

 「7代前の祖先」で思い出されるのがアレックス・ヘイリーが書いた自伝「ROOTS」というお話。アメリカ奴隷だった自分の祖先のルーツを7代前までさかのぼり解明したというのは、のちに創作が入っていたことが判明しますが、1970年代に世界中でブレイク、ルーツという言葉を日本に浸透させた作品でした。

3. 祖父母の力

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◆ディマシュの祖父母は家庭環境としてカザフ語をきちんと話し、カザフの伝統的文化を尊重し、家族の絆を大切にしながら暮らしました。まだ音大生であった若い嫁のスヴェタが立派な声楽家になるよう、実の娘のように力を貸し、ディマシュの世話をしながら、カナトとスヴェタ二人の音楽活動を支えました。

◆祖母のミウアは学校で生物学と地理を教えていた人で、歌も上手く、ディマシュに多くの古いカザフ語の物語と叙事詩を聞かせました。

◆祖父クダイベルゲンの初めの仕事は、アクトベ地域チュリン(Жұрын)農村地区(飼料管理の農場施設)での技師、エンジニア、運転手でした。真面目で慎み深く誠実たることをモットーとしています。学生時代には、大学の合奏団でドンブラ(カザフの弦楽器)を弾いていました。ミウアの歌にドンブラを合わせ弾くとともに、ディマシュにこの伝統楽器の最初の手ほどきをしました。

◆ディマシュの特異な音楽的才能・関心を、家庭内でまず見出したのは、いつも養育に関わっていた祖父母です。ディマシュは、物心つく前から音楽をたいそう好み、片時も、寝るときすら!ラジカセを離そうとせず、並々ならぬ音楽への関心を示しました。また、ほんの赤ちゃんの時から両親の演奏旅行に連れていかれて公演を見るなど、ステージは身近なものであり、また憧れでした。実際、ディマシュの初舞台は2歳の時(お芝居の端役)、そして、両親の小さな地方公演の終わりにはいつも舞台に駆け上って、一緒にお辞儀をしていたのでした。

◆5歳のとき、アクトベ市のアフメット・ズバノフ音楽大学の子ども音楽スタジオに通うことになったディマシュを、祖母のミウアは懸命にささえました。ピアノと歌のレッスンを始めてすぐに、絶対音感と秀でた歌唱力で非凡な才能を現したディマシュのため、ミウアは自身の体調が悪く足が痛む時も音楽教室への送り迎えを決して休むことがなかったといいます。こうした祖父母の献身にディマシュは深い感謝の念を表しています。
また、ディマシュが、首都アスタナの国立芸術大学に進学してからは、祖父母もアクトベから引っ越し、アスタナでの勉学中のDimashと両親の活動をサポートしています。

◆ディマシュは5歳の発表会で「マラト・アイティモフの再来」と賞され、2000年6歳で国立ピアノコンテストAynalayinで優勝しました。 

4. 学校教育

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◆カザフスタンの学校教育は、日本のほぼ小中高に相当する初中等11年(うち義務教育9年)と、専門学校(2年)、大学(4年)の組み合わせパターンがあります。9年生には進級試験、11年生には卒業試験があります。
(なお、11年間の初中等教育は12年に延長するなどの教育改革が行われています。)

◆ディマシュは6歳からアクトベの第32番学校に通い、2009年にミュージカルクラスを修了しました。 初・中等期の学校時代を知る教師は、ディマシュが勤勉、努力家であると同時に快活で協調性に富み、表現力豊かで、常に創造的な音楽表現に取り組んでいたことを語ります。
カザフの偉大なアバイ・クナンバエフの詩を数多く歌おうと試みていたディマシュですが、学校の発表会(「カザフ語週間」のイベント)では、当時すでに古典的でもあったアバイの曲を自身の手による新しい編曲で披露し、喝采をあびました。
年配の人ならいざ知らず、こうした古典への取り組みを、とにかく若いディマシュのような少年が熱心に行うことは、とても誇らしく感銘を与えるものだったことでしょう。

◆アクトベの少年期、ディマシュは通常の学校の傍ら、アクトベ地域フィルハーモニーに付属する子ども音楽スタジオ<Саз>(サズ)(2007年開設)に通いました。「サズ所属の、美しい声で歌う少年ディマシュ」は、つとに有名で、このころのディマシュを知る人は、しばしば<サズ>に言及します。

◆幼少期から様々な楽器に触れつつ、音楽体験を積んでいったDimashですが、高音部の声がよく出たので、授業では人数の少ない女声パートを歌ったり、所属していた少年少女クワイヤで16歳まで歌っていたといいます。

◆2014年、A.ズバノフ記念アクトベ音楽学校(声楽専攻)を卒業しました。在学中にいくつかの国際的音楽コンクールで目覚ましい結果を出しています。

◆Dimashは、将来を迷うことなくさらに音楽を幅広く学ぶため、首都アスタナ(当時)に行き、カザフ国立芸術大学で現代音楽(ジャズ、ポップス)を専攻、2018年6月27日に卒業しました。
彼は、2020年 作曲科修士課程を修了し、博士課程に進みました。

5. 恩師との出会いと絆

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◆ディマシュが今なお尊敬してやまない師Marat Aitimov(マラト・アイティモフМарат Айтимов カザフスタンの名誉アーティスト)に出会ったことは、銘記すべきことです。

◆マラト師は母スヴェタのA.ズバノフ アクトベ音楽学校での先生でした。
カナトとスヴェタは、すでに述べたように教員養成学校の学生時代に出会いました。言語学・カザフ語専攻で、作詞作曲をするカナトは、音楽専攻のスヴェタと親しくなりました。カナトが属する学生アンサンブル《ジベク》(シルクの意)に、スヴェタはリードボーカルとして勧誘され、2人は学業、サークル活動を共にしました。
人生の転機が訪れ、カナト・スヴェタが、プロ歌手として活動するときも、マラトが所属する地元の交響楽団(G.ズバノワ アクトベ フィルハーモニー)で、重要な役割を果たすなど、二人とマラトとの交流は続いていました。
アスタナの国立芸術大学に行きたいDimashでしたが、地元のアクトベ音楽学校に進学させることを決めたスヴェタは、マラト氏にディマシュを託しました。ディマシュは、音楽学校入学前から個人レッスンを受けることになり、このときから「両親の先生、仕事のお仲間」だったマラトさんが「ディマシュの師」となったのです。

◆マラト師は、変声期以降の不安定な声帯を注意深く指導し、ディマシュが、得意なハイトーンボイスに傾倒しすぎず、民族的、伝統的な文化と芸術への愛を深めるよう、また、コンクールでの良い結果に決しておごらず、謙虚に精進していくよう導きました。
 
A.ズバノフ アクトベ音楽学校を卒業したのちもマラト師は折に触れディマシュの相談に乗り、支えとなり、現在も大切なメンターであり続けています。
生徒たちが付けたあだ名は、ゴールデンマン(カザフの古代遺跡に因んで)。
Bastauコンサート、D-dynasty モスクワ クレムリンコンサートに友情出演しました。

◆カザフ国立芸術大学ではMaira Dauletbakovaにポップヴォーカルの指導を受け、後述のスラヴィアンスキー・バザール優勝の力になりました。マイラ・ダウレットバコワは「Dimashには強いキャラクターと強い意志があります。悪天候、屋外などの条件の悪いコンクールで、体調を崩していたにもかかわらず、彼は力をすべて集め、勝利に必要なすべてをしました。これを見たときに泣いた。私は幸せに泣いた。」と語りました。

6. 2010–2014:初期のキャリア 

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◆2010年 カザフスタン【"Звонкие голоса Байконура"(バイコヌールの鳴り響く声)】 優勝

◆2012年 カザフスタン【Zhas Kanat(若い翼)】1位
2012年5月=18歳になる誕生日直前 (当時、A.ズバノフ アクトベ音楽学校の2年生)
初日(準決勝):🎼S.O.S  
2日目(決勝):
🎼Я люблю тiльки тебе (I Only Love You あなただけを愛す)
※ウクライナの歌手 オレクサンドル ポノマレフの有名な曲
🎼ダイディダウ
3度目の挑戦、遅刻で危うく失格に?など、Dimashエピソードが多い。
当時、カザフスタンの若いアーティストにとって最も大きな影響力を持つコンクール。

◆2012年 ウクライナ【Восточный Базар オリエンタル・バザール】グランプリに次ぐ1位

◆2013年 キルギス【Мейкин Азия(Makin Asia Open Asia)】グランプリ受賞

◆2013年 トルコ【Türkçevizyon Gala Night】ゲストシンガーとしてアリシェル・カリモフと共演

◆2012年 シングル「Körkemim」(カザフ語:Көркемім)を作曲しリリース。
歌詞:カナト・アイトバイエフ(父)

7. 2015–2016:スラビアンスキーバザール、国際公演、「忘れられない日」ツアー

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◆2015年 ベラルーシ【スラビアンスキーバザール】★グランプリ(180点中175点)

•ダイディダウ(現地予選/国際放送されずDimashはがっかりした)
•опять метель(再び吹雪:ロシア歌手 Alla Pugachevaが歌った人気曲)(本選初日)
•SOS d'un terrien en détresse(本選二日目)
•ダイディダウ (授賞式ガラ)

◆2015年 トルコ 【ABU TV Song Festival】カザフスタンの代表としてダイディダウを歌う。

★スラヴィアンスキーバザールのグランプリ獲得後のディマシュの活躍は目覚ましく、2015年から2016年にかけてたくさんの国内外の舞台に招待されました。
Makin Asia 2015(ゲストパフォーマンス)、イタリア・ミラノ開催Expo 2015、カザフ・ハナーテ550周年記念演劇ショーМәңгілік Ел(Eteranal countryの意)、アルマトイのユーラシア国際映画祭。トルクメニスタンのテュルク世界の文化芸術・キャピタル祭、アスタナ女性の日コンサート(両親とともに)、国際女性デー・クレムリン宮殿コンサートなど枚挙にいとまがありません。

★ステージ出演の一方、ディマシュは「Ұмытылмас күн (ウムトゥルマス クン 忘れられない日」という歌をリリースしました。

◆2015年8月 シングルリリース 忘れられない日(Unforgettable day

◆2015年12月 ディマシュを絶賛したソプラノ歌手Maira Mukhamedkyzyとのデュエット新曲「My swan (Аққуым)」を収録し、以後テレビやコンサートで数多くの共演を果たしました。

◆2016年1月1日 自身の名前をタイトルにしたEP「Dimash Kudaibergen」(ミニアルバム4曲)をリリースしました。

2016年新年向けテレビ番組で"Аяз қырау" を発表。スラヴィアンバザールで歌ったロシア語の歌опять метель(Blizzard again:再び吹雪)のカザフ語版になります。

◆2016年2月 家族と親交が深く、おじさんとも第二の父とも慕う作曲家・ギタリストのルクパン ゾルダソフの誕生日記念コンサートで、新曲「カザフスタン」(カザフ語:Қазақстан / Qazaqstan(カザクスタン) ; My Homeland)を披露。

*カザフには「生まれた土地・故郷 Туған жер」というタイトルの曲が実にたくさんあり、タイトルが混同されているケースがあります。

◆2016年4月から、カザフスタン独立 25 周年を記念して遂行された国内25か所(+ロシア2回)のツアーコンサートは大きなエポックであり、自身の曲にちなみ【忘れられない日ツアー】と名付けられました。このツアーでは、両親や先輩アーティストが応援・賛助で出演し、カザフスタン国内の小さな地方都市(町、村レベルを含む)から、アスタナ、アルマトゥなどの大きな都市まで公演しました。ちょっと大きめの白いタキシードや、カジュアルなシャツスタイルで、客席と掛け合いをしたり、舞台を所せましと動き回り歌う、後のDimashを思わせる姿があります。

◆かつては自身がコンテスト参加者であった競技大会に、ゲストや審査員として招待・出演するようになったディマシュです。
この年、国内では「Бала дауысыバラ・ダウサ(子供の声コンテスト)」コスタナイ地域大会の審査員を務めました。

◆2016年7月 スラビアンスキーバザール閉会式のガラでは "Belovezhskaya Pushcha"を カザフの歌手Nagima Eskalievaとデュエットしました。ヴェロベスカの森はベラルーシとポーランドの境に位置する広大な森林地帯でユネスコ世界遺産に指定されています。1970年代にこの森を訪れたロシアの作曲家 Alexandra Pahmutova が 感銘を受けて作曲したものです。

◆2016年9月 アルマトイ誕生1000回記念ガラコンサート(GAKKU企画)では、11歳の少女ヤズミン・イブラエワ(バラ・ダウサ参加者)とТуғанжерを歌いました。ただし、前出のルプカン・ツォルダゾフ作のディマシュの持ち歌とは全く別の曲です。

◆2016年11月 韓国ソウルで開催されたThe Turkic Culture Festivalでは、各国首脳の前で演奏しました。

また、ロシアのBig Opera 2016 TVコンペティションのゲスト歌手として、Sundet Baigozhinとともにカザフスタン代表として歌ったノートルダム・ド・パリの曲は、大きな印象を与えています。

◆このころ、ディマシュは将来について、カザフのオペラ界ではなく、自分で新しい音楽活動の世界を切り開いていくことを決意していました。


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8. 2017年 I’m a singer 中国から世界への幕開け


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中国のコンテスト番組「歌手2017」については別ページに詳細があります。(この項目の下にリンクボタンあり)

◆1月 中国北京のブラックゴールドタレントと契約を結び、中国名「迪玛希(Di Ma Xi)」として出演した中国でのこのテレビコンテスト番組以降、ディマシュの世界は一変しました。
世界中の人が、インターネットを通じてディマシュを知り、文字通り世界中でSNSを中心としたファンの活動がたちあがりました。

1月29日
シンガー2017年出演の合間を縫って、アルマトイでの冬季ユニバーシアードの開会式に出演。Sarah Brightmanの "A Question of Honor"を ソプラノ歌手Zarina Altynbayevaと歌いました。

◆6月29日【Bastau(Beginning 始まり)】コンサート
このコンサートに先駆けて、6月18日Dimash のInstagramから、自身の歌うSALEMの動画とともに、世界中のファンに向けて異例の呼びかけがありました。(カザフ語、ロシア語、英語、中国語)

日本語訳:
「#BASTAUコンサートまであと僅か10日です! コンサートに参加したいあなたは、これをやってください。この動画の様に、あなたの住む街のなかでディマシュの新曲を歌ってください。その動画を#BASTAU や#FanDQ のハッシュタグをつけてSNSに投稿します。そして動画のフルバージョンを fundimash@gmail.comまで送ってください。ディマシュのソロ・コンサートでアスタナ・アリーナの巨大スクリーンに流れるチャンスです。あなたのためにディマシュが見本の動画を作りました!
準備はいいかい? さぁ、やって!」

このコンサートは、ディマシュの国内初の大規模ソロコンサートで、人々への感謝を表明する意味もありましたが、2017年6月10日から3か月にわたって開催された「EXPO 2017 アスタナ国際博覧会」の一環として、文化スポーツ省が後援しました。(文化スポーツ省チャンネルに完全版の動画が置かれています。)

◆9月【Gakku Open-Air Festival】ヘッドライナー(主役を務めるアーティスト)としてトリを務める。
GAKKU TVはカザフスタンで制作されたコンテンツのみを放送するカザフスタン初の音楽チャンネルで、ケーブルTV、衛星放送TVで放送され、カザフスタンの音楽と文化を拡大し、愛国心を高めることを目指しています。) 
 
◆10月 友人でもある男子フィギュアスケーター デニス・テンがDimashのSOS d'un terrien endétresse を17-18シーズンのフリープログラムの曲に採用。大けがからの回復途中にあるDenisに対して感謝と応援のメッセージをInstagramにアップしました。 

★この年、中国内での様々なイベント出演、演奏活動をし、各種の賞を受賞しました。

★また、憧れの映画スタージャッキー・チェンと会い、親交を深められた嬉しい年でもあります。

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9. 2018年

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◆【D-Dynasty World Live Tour】中国国内開催(福州、深セン)

◆2018年11月【ロンドンコンサートDQ】イギリスのロンドンIndigo O2にて ソロ・コンサートを開催しました。このコンサートは「英国カザフ文化の日」の一環としてカザフスタン文化スポーツ省が在英カザフスタン大使館の協力のもと開催したものです。

※2018年7月19日 デニス・テン、強盗に襲われ死去。1か月前の誕生日にはInstagramでお祝いメッセージを上げていたほどの仲であったが、同日から数日間、Dimashはショックと追悼のメッセージをInstagramに記しています。

◆2018年9月【ニューウェーブ】ロシアの国際コンテストにゲスト出演し、Sinful passionを原曲を歌ったA’Studioと共演で披露、閉会式で「Adagio」を歌いました。

◆2018年11月以降 ロシアの作曲家イゴール・クルトイとのコラボレーションが始まりました。

疲れた白鳥の愛」(ロシア語:「Любовь уставших лебедей」)のカバーをしました。
(イゴール・クルトイ作曲、ロシアの詩人・実業家ミカイル・グツリエフ作詞)

10. 2019年-


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2019年2月 USAのCBSタレントコンペティション番組 THE WORLD’S BESTに出演したが、準決勝で自ら降板 (未成年者とのコンペを避けるためと説明)
※これを機に、以後あらゆるコンペティションに参加しないことを表明しました。

2019年3月 モスクワコンサート

2019年6月21日 ベラルーシ ミンスク ヨーロッパ競技会 オープニングセレモニー    Ogni Pietra (olimpico) を歌いました。


2019年6月29日 【ARNAU(献身)】サブタイトルDimash Kinetic Voice(アスタナアリーナ)
※これを皮切りにARNAUワールド・ツアー継続中(2020年現在)
  
・2019年11月 サンクトぺテルブルグ(ロシア)コンサート

・2019年12月 ニューヨーク(サブタイトルENVOY)コンサート

・【ARNAUサブタイトルEUROPE

※【ARNAU】サブタイトルEUROPE

・2020年2月
クラスノダール(ロシア)
カザン(ロシア) 
エカテリンブルグ (ロシア)

・2020年3月
7日 リガ(ラトビア) 
9日 モスクワ(ロシア) 
11日 キエフ(ウクライナ)
※以降、コロナ禍で延期中

2019年夏   最初のスタジオアルバムID」をリリース。(詳細はdiscographyにて)

2019年10月 イゴール・クルトイの65歳記念コンサート(USA NY バークレイズセンター)
 ゲスト出演


◆2019年11月【ABU TVソングフェスティバル】カザフスタン代表として初来日

★17日滞在ホテルから生声入りのInstagramをアップ
★18日NHKごごナマ出演
★19日NHKホールにて 公開番組収録 
(本放送はABU加盟各国で放映。)
★日本国内では、総合チャンネル12月28日(土) 午後11:00~午前0:20(80分)
NHK BSプレミアム12月30日(月) 午前11:30~午後13:30(120分)
NHKワールド(CS) 12月30日~1月1日にかけて前・後半にわけて各3回ずつ放映されました。

【来日時のDimash本人のInstagramより】

↓NHKごごナマ出演告知

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「プレビュー」から実際の見た目をご確認ください。

↓11月18日NHKごごナマ出演

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↓11月18日NHKごごナマ出演

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↓記者会見

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↓ホテルからシブいお声で

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【動画】Dimash Kudaibergen - SOS D'un Terrien En Détresse (Kazakhstan) - ABU TV Song Festival 2019 in Tokyo

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◆2019年12月    ARUNAW ENVOY  ニューヨーク・コンサート

【動画】ARNAU ENVOY New York Concert (Barclays Center) - Part1

【動画】ARNAU ENVOY New York Concert (Barclays Center) - Part2